昨年の1月から2月にかけて行ったイギリス旅行を振り返ります。
イギリス旅行記(2018年1月~2月)⑳雪のロンドン~ディケンズ・ミュージアムのハウスメイド・ツアーに参加
イギリス旅行記(2018年1月~2月)㉑ホテル移動とオックスフォード・ストリート散策
イギリス旅行記(2018年1月~2月)㉒ロンドン4日目~レトロな魅力のベイカー・ストリート駅からのパディントン駅偵察
←こちらからの続きです。
ミュージカルのチケットを求めてレスター・スクエアへ
パディントンでホテルの下見をした後、午後は急に入った仕事をプレタ・マンジェの大型店でもくもくと進めました。
この店舗、広くてのんびりできて良かった。
いつものように1月のロンドンはあっという間に暗くなる。
ミュージカルのチケットが手頃な値段で手に入ったら観たいと思い、いったんホテルに戻ってから、レスター・スクエア方面へ。
レスター・スクエアに着きました。
夕方5時過ぎ頃。人が多い。
広場にはストリート・パフォーマーもいます。
このお兄さんは通りがかった時、Bastilleの”Pompeii”を歌ってたけど上手だった。
レスター・スクエアにある「tkts(チケッツ)」をのぞいて見たけど、あまりピンとくるチケットはなかった。
thksは公演の割引チケットを買える公式のチケット売り場。今回の旅ではお世話にならなかったけど、4年前に旅した時は『レ・ミゼラブル』の当日券を安く購入しました。
最新の超人気演目とかのチケットはないかもしれませんが、定番の演目などは日によってお得なチケットがあると思います。
割引チケットがないのならと、近くのとある場所へ急きょ寄ることにしました。
ナショナル・ポートレート・ギャラリーでディケンズを含むヴィクトリア朝の文豪たちに会う
個人的にロンドンで1、2を争うほど大好きな美術館(ギャラリー)の1つが、ナショナル・ポートレート・ギャラリーです。
こちらはナショナル・ギャラリーのすぐ近くにある肖像画作品ばかりを集めたギャラリーで、常設展は基本的に無料で入れます。
この時はセザンヌの特別展が開かれていました。
時刻は午後5時30分少し前。閉館は6時。
イギリスの施設は入場が閉館の30分前までというところも多いので、急いで行って入り口に立っていた係のダンディーなおじさんに「まだ入れますか?」と聞いたら、「もちろん!」とのこと。よかった~。
残り時間は30分のみ。
でも行きたい場所は決まっていたので迷わずその展示室に向かいました。
目指すは1階の「ヴィクトリアン(Victorian)」の中のRoom24、”Early Victorian Arts”の間です。
真っ先に向かったのは、そう、この人の肖像画です…!
ダニエル・マクリースが描いたチャールズ・ディケンズの肖像画(1839)。
まだ20代のディケンズ…うるわしの青年時代です。
書き物机から振り返る姿。マクリースはディケンズの親しい友人の1人。彼の見た時代の寵児ディケンズの姿が描かれています。
ディケンズのライバルでも称賛者でもあったウィリアム・サッカレーはこの肖像画を見て、「鏡でもこれ以上本人に似せることはできない」と絶賛しています。
この風貌で、次々にヒット作を生んでいく若き小説家ディケンズの勢いがどれだけのものだったのか。この展示室に飾られるにふさわしい、ヴィクトリア朝前半を代表する芸術家の1人の肖像画です。
この絵を前にするといつも胸がいっぱいになります。
この時、このRoom24には誰もいなかったので、ディケンズをはじめとした肖像画をひとり占めできました。
写真撮影はOKです。10数年前に初めて来たとき、確かこのディケンズの肖像画のみ写真撮影NGだった気もするけど・・・。
続いてはこちら。
パトリック・ブランウェル・ブロンテが描いたブロンテ姉妹の肖像画(1834年頃)。
ブロンテ姉妹は『ジェーン・エア』のシャーロット・ブロンテ(1816-1855)、『嵐が丘』のエミリー・ブロンテ(1818-1848)、『アグネス・グレイ』のアン・ブロンテ(1820-1849)の三姉妹のこと。
そしてこの絵を描いたのは兄弟のブランウェル(1817-1848)。
真ん中の塗りつぶされた箇所にはブランウェル自身が描かれていたとされています。
亡くなったシャーロットの上の姉二人を含めて全員が短命だったブロンテ兄妹。
ブロンテ姉妹三人がそろった貴重な肖像画の一枚です。
続いてはこちら。
ブロンテ姉妹の中でもっとも有名?な『嵐が丘』の作者エミリーの肖像画(1833年頃)。
こちらもブランウェルが描いています。貴重な一枚。
続いては、
『白衣の女』のウィルキー・コリンズの肖像画(1850)。
1868年に出版された『月長石』は、イギリス文学史上初の長編推理小説と言われています。
コリンズはディケンズの年下の大親友でお互いの著作に影響を与え合った存在。
この肖像画を描いたのはラファエル前派としても有名なあのジョン・エヴァレット・ミレイ。
ミレイはディケンズとも親交がありました。このあたりのヴィクトリア朝の密な人間関係は面白いところ。
この展示の場所が絶妙で、たしかケースの中に飾られていたからだと思うけれど、角度によっては、右奥にディケンズの肖像画が反射して映る配置になっている。これには思わずうなってしまった。
続いてはこちら。
こちらは肖像画ではないですが、アメリカの女性彫刻家ハリエット・ホスマーによって造られたブロンズの手(1853)。これはある二人の詩人の手ですが、誰と誰の手かというと、同じ展示室にこの手の持ち主の二人の肖像画が展示されています。
手の持ち主の正体はロバート・ブラウニングとエリザベス・バレット・ブラウニング夫妻。
二人ともヴィクトリア朝で活躍した詩人です。
この二人の恋は波乱万丈でちょっとしたドラマよりもずっとドラマティック。
最終的には駆け落ちし、エリザベスが亡くなるまでイタリアで暮らしました。
この渡英前に大学院の授業でエリザベス・バレット・ブラウニングの詩を読んでいて、彼女の人生や思想などの伝記的背景にもふれていたので、この握りしめた二人の手を見た時は感動してしまった。
さらに向かい合う二人の肖像画の配置もすばらしい。
画家はフィレンツェで活躍したイタリア人のミケーレ・ゴルディジャーニ。
続いては、
トマス・ラブ・ピーコックの肖像画(1858)。
彼は1785年生まれなので時代としては少し前ですが、1866年まで長生きし、ヴィクトリア朝でも活躍しました。
小説家であり、詩人、同じく詩人のシェリーの友人としても有名。さらに東インド会社に勤め、会社に貢献したことでも知られています。
作品は諷刺が効いていて個性的。前にピーコックの「メイド・メリアン」を授業で少し読んだけど、変わっていてかなり好きな作風だった。記憶が曖昧なので、読み返したい。
画家はヘンリー・ウォリス。
次は、
こちらは文人ではなく、画家の肖像。
画家アーサー・ヒューズの自画像(1851)です。
何となく儚げな横顔に惹かれたけれど、10代の時の自画像ですね。心惹かれるものがあります。
わずか17歳でロイヤル・アカデミー展に出品した才能の持ち主。彼の『オフィーリア』はハッとするような美しさです。
ラファエル前派のように文学作品を題材にした作品も多く、美しく繊細な人物の表情が印象的。この自画像にもその作風が十分にあらわれているようです。
最後はこちら、
『虚栄の市』のウィリアム・サッカレーの肖像画(1839年頃)。
彼もまたヴィクトリア朝前半を代表する小説家の1人。
サッカレーとディケンズは作風は違うがライバルであり、友人同士でした(マクリースのような親しい友人ではなかった)。
実はサッカレーは若い頃ディケンズの『ピクウィック・クラブ』の挿絵画家に応募してきたこともある(結果は落選)。二人ともまだ20代半ばの頃のこと。
晩年は仲たがいしたけれど、互いに尊敬し合い、作品にも影響を与え合いました。
特にサッカレーは挿絵画家に応募してきた頃から、年下のライバルの作品のファンであり続けたのではないでしょうか。
画家はフランク・ストーン。
まだまだ展示室にはさまざまな肖像画が飾られていますが、ここで閉館の時間です。
短い時間だったけれど、大満足。
じっくり見るにもふらっと行くにもお勧めのギャラリーです。
この後、ダメ元でアラジンのミュージカル劇場に行きますが、チケット代が高くて撃沈。
悲しい気持ちを通りかかったタピオカ屋さんでタピオカ・ミルクティーを買って紛らわせます・・・(美味しかった)。
今回は縁がなかった『レ・ミゼラブル』。
夜の劇場のライトアップが素敵です。
このあと本屋に寄って、アラジンの傷も大分癒えてきました。
地下鉄に乗って、ホテルに戻ります。
明日からはついに友人と合流。やっと旅行記らしくなりそうです。