本・読書

うだるような暑さの中で/「八月の炎暑」W・F・ハーヴィ

最初のうちは、自分にこう言い聞かせた―この男は、前にどこかでちらっと見かけたんだろう。知り合いでもない男の顔が心の片隅に残っていただけだ、と。
だが、私には分かっていた。そんなのは、気休めのごまかしに過ぎないのだ。(40)

「八月の炎暑」W・F・ハーヴィ 宮本朋子訳

『エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談ー憑かれた鏡』ディケンズ/ストーカー他 E・ゴーリー編 柴田元幸他訳 河出文庫

 

『エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談ー憑かれた鏡』はそのタイトル通り、エドワード・ゴーリーが作品の選定とイラストを手掛けたアンソロジー。

ゴーリーは、『ギャシュリークラムのちびっ子たち』などの作品で知られる、世界中で、そして日本でも根強い人気を誇るアメリカの絵本作家である。

各話に添えられたゴーリーのイラストは物語の恐怖を高めてくれる。

内容にふれています。

二作目に収録されているのは、W・F・ハーヴィ(1885-1937)の「八月の炎暑」である。(原題 “August Heat”)

物語は手記の形で語られる。

私は今日、人生で最も不可思議な一日を過ごしたと思う。
記憶が薄れないうちに、できるだけ明確な形で書き記しておきたい。(36)

ジェイムズ・クレランス・ウィゼンクロフトは四十歳の画家である。
健康状態に問題はなく、身寄りはないが食べていくのに困ってはいない。

この手記を書いた8月20日は、うだるような暑さだった。

ふと絵のアイディアが思い浮かび、ウィゼンクロフトは夢中になってスケッチを完成させる。それは、被告人席にいる見知らぬ巨漢の男が、裁判長に判決を告げられる場面だった。男は絵の中で絶望の表情を浮かべていた。

スケッチの出来に満足したウィゼンクロフトは、その絵を丸めてポケットにしまい、外へ出かける。そこで偶然迷い込んだのは、石碑職人の家の庭だった。

作業に精を出す職人の姿を見てウィゼンクロフトは驚く。その男は先ほど自分が絵に書いた裁判にかけられる犯罪者の男だったからだ。

職人のアトキンソンは気さくにウィゼンクロフトを迎え入れる。彼は今、展覧会に出品するための墓石に碑銘を細工していたところだった。

出来上がった碑銘を見て、ウィゼンクロフトは再び驚く。そこには自分の名前と生年月日、そして今日8月20日に急逝したと彫られていたのだ。

ウィゼンクロフトは事情を説明し、二人は奇妙な偶然に慄く。そして、アトキンソンから、ある提案をされ、ウィゼンクロフトはそれを受け入れることにするのだが…。

 

夏の猛烈な暑さ、空気が文章から立ちのぼる。

この猛暑のなかで読むには最適な作品かもしれない。

なぜなら、物語の中の暑さを想像しやすいだけでなく、寒気を感じるほどの恐ろしさを秘めた作品だから。

こんなにぞっとする話はないのに、淡々とした語りにひきこまれてしまう。

語りにも何ら矛盾はない。この先何が起こってしまうとしても、これは23時の時点で書かれた手記なのだから。

なぜ、ウィゼンクロフトは会ったこともないアトキンソンを犯罪者として描いたのか。

なぜ、アトキンソンは会ったことこともないウィゼンクロフトの名前と生年月日を正しく墓石に掘ったのか。

そして、碑銘が指し示す命日は今日8月20日。

あと1時間で日付は変わる。

もしかしたら、何もないかもしれない。しかし、と思わせる余韻が後を引き、静かな恐怖の予感を与え続ける佳作である。

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