本・読書

『クリスマス・キャロル』スクルージの原型/「墓掘り男をさらった鬼の話」チャールズ・ディケンズ(岩波文庫)

ずっとずっと昔のこと―ずいぶんと昔のことだから、この話は本当にあったことに違いない。(p.6)

「墓掘り男をさらった鬼の話」チャールズ・ディケンズ

『ディケンズ短編集』小池滋・石塚裕子訳 岩波文庫

「墓堀り男をさらった鬼の話」

ディケンズの小説は面白い。面白いんだよう。

でもディケンズの小説を人に勧めるときにいつも躊躇することがある。

それは物語の長さである・・・。

三巻本形式での出版が主流であったヴィクトリア朝においては、とりたててディケンズの作品だけが長かったわけではない。

ディケンズは月間分冊方式という方法でその代表作の多くを発表し、後にまとめて本として出版という形式を取ったので、一気に読もうとするとどうしてもかさばる。

だからディケンズを知らない人にうっかり、

「手始めに『デイヴィッド・コパフィールド』とかどうかな?面白いよ♪」

なんて勧めてしまった日には大事故につながりかねない(すごく面白いけど…!)。

(岩波文庫で全5巻、新潮文庫で全4巻……読書好きな方にはお勧め)

そんな時にぜひお勧めしたいのが、ディケンズの短編である。

ディケンズは短編も多く書いていて、幽霊や怪奇、暗い心理を描いた話も多く、長編小説とは一味違う魅力を放っている。

そう、ディケンズの短編は推せる。

岩波文庫の『ディケンズ短編集』にはそうしたディケンズの魅力的な短編が収められている。

短編集と言っても実際は、他の作品に収められた小話も含めているが、それぞれ独立した作品として読めるようになっている。

その中から今回取り上げるのは「墓掘り男をさらった鬼の話」。

孤独で陰気で、人の不幸を喜ぶようなひねくれ者の葬儀屋ゲイブリエル・グラブが、クリスマス・イブの夜に墓場で鬼に出会うという物語である。

ここでピンときた人もいると思うが、巻末の小池滋の解説にもあるように、この人物は後の『クリスマス・キャロル』の主人公スクルージの原型と考えられる。

・・・『クリスマス・キャロル』と言えば、

もうすぐ日本でも『クリスマス・キャロル』誕生秘話を描いた映画「Merry Christmas!ロンドンに奇跡を起こした男」が公開になりますね!!!!!ね!!(宣伝)

(また今度記事にする予定です)

孤独で人間嫌いな男がクリスマスの夜に突然超自然的な存在と出会い、様々な映像を見せられる、という展開は『クリスマス・キャロル』と同じである。

途中鬼たちが墓石で次々に馬飛びをしていく場面など、恐ろしくもコミカルな要素も多いが、心に残るのははやり鬼がゲイブリエルに見せる映画のワンシーンのような映像の数々と、彼の反応である。

鬼は、死んでいく天使のような幼子の姿や、貧しいけれどひたむきに生きる人々の様子、美しい自然の風景などを次々とゲイブリエルに見せていき、ゲイブリエルはこれまで見ようとしてこなかったそれらの光景を食い入るように見つめ続ける。

そして、妬みの気持ちから楽しくはしゃぐ子供に意地悪をしていたことを鬼に指摘された彼は、映像を観終わり、これまでの自分勝手な考えを改めることを決意する。

このあと、改心し、鬼から解放されたゲイブリエルがどのような人生を送ったのかは詳しくは描かれていない。

この物語は独立した短編ではなくディケンズをベストセラー作家に押し上げた長編小説『ピクウィック・ペイパーズ』の中で語られる挿話である。

『クリスマス・キャロル』とは違い、あくまでも話の中の挿話としてこの物語が機能しているからか、まだ20代半ばの若者であったディケンズが書いているからか、

道徳的な要素が全面的に押し出されているというよりは、超自然的な存在の鬼の持つ恐怖やユーモア、自分勝手なゲイブリエルが鬼たちに好き勝手にされるおかしさなどが目立った作品となっている。

悔い改めるゲイブリエルの様子はどこかあっさりとしてもいる。

それはスクルージのように未来の自分の姿を残酷に提示されていないからかもしれない。

しかし、この小話には後の『クリスマス・キャロル』に繋がる要素が多く盛り込まれている。

また、物語の舞台となっている墓地は、ゲイブリエルが葬儀屋であり、恐怖物語の場としても舞台に設定されているのはもちろんだが、ディケンズ自身も墓地を散歩するのが好きで、お気に入りの墓地もあるとエッセイに書いているほどだ。

この話を書いていた頃のディケンズは20代の新進気鋭の人気作家。

才能に満ちあふれ、希望と野心に燃えていた若き青年ディケンズの姿が垣間見える小話である。

ディケンズ短篇集 (岩波文庫 赤 228-7)

ディケンズ短篇集 (岩波文庫 赤 228-7)