11月になり、『Merry Christmas!~ロンドンに奇跡を起こした男~』の公開も近づいてきました🎄
映画は『クリスマス・キャロル』誕生秘話を描いた話・・・
チャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』は、今でも英語圏だけでなく、世界中で愛されている物語で、これまで数多くの舞台や映画が作られてきました。
映画公開が待ちきれない人(=私)のために、公開まで、これまでに制作されてきた色々な『クリスマス・キャロル』の作品感想を書いていきます。
古き良きハリウッド版『クリスマス・キャロル』/レジナルド・オーウェン主演映画『クリスマス・キャロル』
1本目はこちら。
1938年にアメリカで制作されたレジナルド・オーウェン主演の『クリスマス・キャロル』。
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2011/12/21
- メディア: DVD
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白黒映画だが、69分と短いこともあり、一気に観てしまった。
『クリスマス・キャロル』のストーリーは、ケチで偏屈、人間嫌いの老人スクルージの前に、クリスマス・イブの夜、亡き相棒のマーレイ含む四人の亡霊が姿をあらわす、というもの。
映画は基本的には小説に忠実。
でも69分で収めるためにカットしたり、付け加えたシーンもある。
まずは、主演のレジナルド・オーウェンのスクルージがいい。
彼は1887生まれ、ということはこの映画の時はまだ50歳くらいなので、老けメイクや演技で老人に見せているのだろうが、出てきた瞬間から偏屈で気難しい老人スクルージにしか見えない。
スクルージを演じるならば、物語冒頭の偏屈な老人、亡霊に様々な光景を見せられることで変化する心の移り変わり、これまでの行いを悔いて改心した姿をどう魅せるかが重要だと思うが、レジナルド・オーウェン版スクルージはその変化がわかりやすくも、素晴らしい。
過去、現在、未来の亡霊たちに導かれて、様々な風景を見せられたスクルージの喜怒哀楽の表現が巧みで、特に過去のゴーストに見せられた若き日の自分と対面し、童心に帰ってはしゃぐ姿がおかしく、悲しい。
若き日の楽しい時間、勉強も遊びも仕事も共にしたかけがえのない友人、優しい奉公先の主人、自分を慕ってくれた妹、すべては過去のものであり、二度と帰らない時間である。少年のようにはしゃぐスクルージだが、いくら童心に返ったところで楽しかったその時代にはもう戻れない。彼はその「時」において異質な存在なのだ。
スクルージの事務所に勤めるボブ・クラチット役はジーン・ロックハートが演じ、なんと奥さん役は実生活の妻であるキャサリン・ロックハートが演じている(こういうことって昔からよくあるんだなあ)。
実際の夫婦が演じていることもあってか、貧しくもあたたかい大家族クラチット家のにぎやかで幸せな雰囲気がどこかリアルで、作品を明るく彩っている。
個人的に奥さんの演技がとても好き。
同時に、普段の家庭内の明るさとの対比によって、クラチット家の末っ子で足の悪い少年ティムの悲劇性が高まる。
亡くなったティムの墓参りをして戻ってきたボブを家族が囲み、ボブがスクルージの甥がかけてくれた言葉を涙ながらに話して聞かせるシーンは、ジーン・ロックハートの落ち着いた演技が悲しみを誘って思わず涙してしまった。
スクルージの甥フレッドは小説でも重要なキャラクターだと思うが、映画では、演じている役者の影響もあるのか、登場する場面が多く、作品の冒頭にも、原作にはないフレッドが子供たち(のちにボブの子供たちと判明)と少年のように凍った地面を一緒に滑って遊ぶ場面が追加されている。
この映画では、偏屈な老人スクルージと対比するかのように、若いフレッドの優しさや愛敬のある性格が特に強調されていて、フレッド推しの私としては嬉しい。
フレッド役はバリー・マッケイ。ロンドン生まれの俳優のよう。
1906年生まれだからこの映画の時は32歳くらいか。正直もっと年上に見えるけど、正統派な男前+愛嬌のある表情で、裕福ではないが心の豊かな紳士フレッドを魅力的に演じている。
童心に返るというのがこの映画では重視されているようで、先のフレッドの場面以外にも、教会の前で凍った地面を滑って遊ぶ子供たちを叱った大人が、こっそりスケートを楽しむ場面がある(そのあとフレッドと彼の婚約者も滑る)。
婚約者ベス役はリン・カーヴァ―。こちらはアメリカ人のよう。
クラシカルな美人で、スクルージの過去の恋愛話がごっそりカットされているので、この映画で唯一のヒロイン役(第一の亡霊を除けば)として輝きを放っている。
子役たちもみないい。
まず、この作品の重要な役どころであるティム役のテリー・キルバーン。
大きな瞳と素直な演技が愛らしく、しかも上手い。
キルバーンは1926年ロンドン生まれで、子役俳優として一家でアメリカに移住。
そして、嬉しいことに彼はまだ存命で、90歳を過ぎた現在はミネソタ州に住んでいるという。
2016年のテリー・キルバーンのインタビューがこちら。
『クリスマス・キャロル』の思い出を楽しそうに語っていて、こちらまで嬉しくなる。
Meet Minnesota’s Terry Kilburn: Hollywood’s 1st Tiny Tim
ハリウッドで最初のティム役とあるので、この映画がハリウッド版としては最初の『クリスマス・キャロル』なのかな。
そして、一場面しか出てこないんだけど、過去編でスクルージの幼い妹フランを演じた子役の演技が元気いっぱいで愛らしくて、こんな妹がいたら溺愛する、と思ってしまった。
英語版wikipediaによるとエルヴィア・スティーヴンスという名前みたいだけど、他に情報はないので、残念ながら他の出演作などはわからなかった。
そしてもう一人印象的だったのは、少年時代のスクルージを演じたロナルド・シンクレア。
この当時13歳くらいだが、愁いを帯びた表情が大人びた独特の魅力を放っている。
彼は少年俳優として活躍していたようなので、他の映画も機会があれば観てみたい。
映画では、冒頭の場面以外にもいくつか原作からの改変がある。
一つは第一の亡霊。
原作では一見子供のような得体の知れない存在だが、映画では美女がその役を演じているのはハリウッドのご愛敬か(それとも演劇でもその伝統があったのか?)。
それからこの映画は全体的に作品の暗い要素を排除していて(スクルージがただの偏屈なやな奴)、そのためか先にもふれた、過去編のスクルージと恋人の関係が全カットされている。
そして、何より重要な改変は現在のクリスマスの亡霊が裾から取り出した二人の醜い子供「無知」と「欠乏」のシーンがカットされていることだろう。
『クリスマス・キャロル』には、作者ディケンズがこの時期、貧困と無知を根絶することを訴えていた精神が強く反映されており、この二人の子供はそれを象徴する存在で、明るいハッピーエンディングのストーリーにとどまらないこの物語の、ある意味要とも言える存在である。
映画版ではこれらの要素をすべてカットしており、未来の亡霊が見せる光景も原作にある遺体から遺品を盗むおぞましい場面などはすべてカットしている。
この映画は、ディケンズの原作からダークな部分を一切取り除いた、いい意味でも悪い意味でも、
まさに古き良きハリウッド版『クリスマス・キャロル』
になっていると言える。
原作は揺るぎないものとしてあるので、すべてがアダプテーションに反映されている必要はもちろんない。
私はこのオーウェン版の映画も大好きだ。
生まれ変わったスクルージの場面は何度も何度も観たくなって胸が熱くなる名作だと思う。
クリスマス・シーズンはこの映画で往年のハリウッド作品の魅力を再確認するのもいいかもしれない。
空を飛んでいるシーンで、ワイヤーが見えちゃっていたりするのはご愛敬。
ヴィクトリア朝の街並みはセットで再現されていて、観ていて何かに似ている…と思ったのだけど、USJのハリーポッター・エリアの街並みにちょっと似てるかもしれない…。どちらも雪が積もっていてロンドンを舞台にしたセットだから、似ていても不思議じゃないのかな。時代は違うけど。
最後に一つ。
映画のはじめで、
More Than a Century Ago….in London…on Christmas Eve
(一世紀以上前のクリスマス・イブのロンドン)
と字幕が表示される。
この映画が公開されたのは1938年、今からなんと80年前。
クリスマス・キャロルは1843年に出版されているけれど、おそらく作中の舞台をこの映画では1830年代頃に設定したのだろう。
現代から考えれば、ヴィクトリア朝はもちろん、1930年代だって遥かに遠い昔である。
1830年代は2世紀ほど前のこと。でもこの時代は約100年前で、1930年代が現在だった。
今わたしたちが1930年代を振り返るような気持ちで、ヴィクトリア朝を見ていた当時の観客はどんな気持ちだったんだろうか。
その時間の移り変わりが感慨深かったし、ディケンズ作品がこうして時を超えて愛されているのを見て、少しじーんとしたのだった。