日生劇場でミュージカル「スクルージ~クリスマス・キャロル~」を観劇してきました。
いつかクリスマス時期にロンドンで「クリスマス・キャロル」の舞台を観るのが夢ですが、まず東京でその夢が叶いました。
レスリー・ブリッカス版ミュージカル「スクルージ」
ミュージカル「スクルージ」は、1970年のイギリス映画『スクルージ』の脚本、作曲、作詞を手がけたレスリー・ブリッカスが自ら舞台化したミュージカル作品。
初演は1992年のバーミンガム、アレクサンドル・シアター。
日本では1994年から不定期ながら何度か上演され、今年で25年目。前回は2015年の上演なので、4年ぶりの公演となりました。
私はディケンズと原作が好きなことはもちろん、元々映画「スクルージ(日本語タイトル「クリスマス・キャロル」)」のファンなので、どんな風に舞台化されているのか、あの曲がどんな風に歌われるのかとわくわくしながら観に行きました。
映画版の感想はこちら↓アルバート・フィニーのスクルージは一見の価値あり。
ディケンズ&映画ファンでチケット取ったかつ論文に忙殺されてる状態だったので、おそらくほとんどのお客さんが把握していたであろうキャスト陣をまったく調べずに行くという暴挙に出ましたが、スクルージ役が市村正親さんということだけは把握していたので安心してください。
どうしても映画版との比較になってしまうけれど、映画版に比べると舞台版は(日本版独自の演出かわからないけど)シニカルさが少し薄まっていたかなという印象だった。
元々の映画自体がかなりユニークな演出の『クリスマス・キャロル』で、コミカルな場面が強調されているのだけれど、舞台版はさらにそれが強調されて、ずっと笑いが起こっているような状況だった。映画版だとそれプラスどぎつい皮肉がそこここにちりばめられているのだけれど、同じ歌を歌っているのに、同じセリフなのにそれを感じないのは、映画版よりわかりやすい表現になっているからか、実際に子役がリアルに目の前に(しかもたくさん)いる舞台だと映画と違って皮肉が中和されるのか、観客にも家族連れが多いので誰にでも楽しめるように柔らかい演出にしているからなのか。
スクルージ役の市村さんの演技がかなりコミカルなのも関係しているかなと思ったけど、これはアルバート・フィニーもそうなので、そもそも観ている人の笑い声が入らない映画と生の観客の反応がある舞台との違いなのかもしれない。
その結果安心して誰にでも楽しめる舞台になっているので、この舞台のファンが多いのも納得だった。
25年スクルージ役を演じ続けている市村正親さんは今年70歳だそうで、役作りや演技に余裕があって、まさにスクルージ役を自分のものにしていた。カーテンコールで「死ぬまでスクルージ役は誰にも渡したくない」と言っていたのが印象的。スクルージにこんなに思い入れのある役者さんが日本にいることを知ったら役者志望だったディケンズは喜ぶだろう。
ボブ・クラチットは武田真治さんが演じていたが、こちらは映画版ボブのしゅっとしたイメージに近いものの、舞台版の方がずっとコミカルに演じていた。
カーテンコールでサックスを演奏していて、キャストと観客みんなでクリスマス・ソングを歌ったのがツボだった。
このブログでも何度か言及してますが、原作『クリスマス・キャロル』での私の推しキャラは何を隠そうスクルージの甥フレッド。
スクルージの甥フレッドです。
さあ、フレッド役を誰が演じるんだろうと思って上演前にパラパラとパンフレットをめくったら…
どこにもいない。
え、フレッド、どこにもいない。
まさか、ここにきて舞台版でそんな改変が…?
と、一瞬気を失いかけましたが、ちゃんといました。
でもフレッドでなくて、名前がハリー。
なぜハリーなのでしょうか。映画版からかなと思って映画版をちらっと観たところ、
……
もしかしたら映画版では名前を一回も言っていないかもしれない…甥としか言ってなかった。
ともかく甥のハリーと若きスクルージ役は田代万里生さんが演じていました。
こちらの甥は、映画版とは正反対の若くてしゅっとした甥でした。
ハリーのテンションに最初ついていけないかも、と思ったけれど若きスクルージ役を演じていたからその対比なのかも。若きスクルージ役素晴らしかったです。
ただ、フレッドって(あ、すいません我慢できませんでした。ハリーと置き換えてよんでください)原作では裕福ではない設定だと思うけれど、舞台版ではどっちかというときらきらしててお金持ち風にも見えた。もしかしたら映画版もそういう要素を排除しているのかもしれないけど、映画版はくたびれたおじさん風フレッドだから、なんとなくその哀愁は伝わるんだよね。
フレッドはスクルージの鏡的役割になるキャラクターなので、フレッド役の役者が若きスクルージを演じる演出はぴったりだと思った。
30代でスクルージを演じたアルバート・フィニーは自ら若いスクルージも演じられたけど、たとえ若い役者が演じたとしても(老いたスクルージと若いスクルージが同じ場面にいる)舞台ではそうはいかないしね。
あと、このマーレイはやっぱり変だよね(ほめてます)。
近くに座ってた子供がマーレイのことを、全然怖くないと言ってたけど、そのとおりだよ。舞台版もいい感じに変でした。
後は未来のクリスマスの精霊がコミカルだったのが結構衝撃的だった。あの演出で最終的な物語の雰囲気が決まったかもしれない。
過去のクリスマスの精霊の役者さん、妹役の時に演技が怖いのが気になった。幽霊だから?あんなに怖い感じでスクルージの心に響くのだろうか。罪の意識に訴える演出?同じ役者さんがクラチット夫人を演じていたけどこちらはよかった。
この日のティム役は鳴海竜明くん。なんと5歳。
歌声もかわいかったし、ちょっと台詞につまっちゃう感じも子供のリアリティがあってよかった。
この舞台のハイライトの一つがトム・ジェンキンスが音頭を取る「サンキュー・ベリー・マッチ」の歌だと思うけど、こちらは演出も映画にほぼ忠実で、本物の「サンキュー・ベリー・マッチ」だ!!と感慨深かった。
ただ、この場面、お客さんはみんな手拍子をしていたけど、死んでくれてありがとうのめちゃめちゃシニカルな笑いの場面なので個人的には手拍子を少しためらってしまった。その分、最後の「サンキュー・ベリー・マッチ」では楽しく手拍子できた。
少し気になったのは、この場面、スクルージが自分が死んだことに気がついてないってこと、つまり棺桶が視界に入ってないってこと、お客さんに確実に伝わる演出だろうか?という点。ただただ楽しい場面ではなくて、可笑しみと悲しみが洪水のように押し寄せる場面だと思うんだけど、そのあたり映画版の方が確実に伝わりやすいのでシニカルさ100倍に感じたのかもしれない。
色々書いたけど、演技、音楽、衣装、美術など、期待していた通りのクオリティで最後まで楽しく観劇しました。パンチ&ジュディの人形も使われてておおっ!と思った。
クリスマスにディケンズの『クリスマス・キャロル』の舞台を日本の大きな劇場で見られることも感慨深かった。
グッズ売り場に原作があったらなお嬉しかったかもしれないけど、ディケンズのクリスマス物語原作の舞台が日本の観客(とくに子供たち)にも受け容れられているのを見て、胸を熱くした一夜でもありました。
四年後と言わず、来年の上演を期待しています。