ナショナル・シアター・ライブ『ヤング・マルクス』を観てきた。
1月に『ジュリアス・シーザー』を観たブリッジ・シアターのこけら落とし公演。
『資本論』で有名なカール・マルクスの若い頃を描くコメディで、1850年のロンドンのソーホーで貧乏暮らしをするマルクス一家やその使用人、マルクスを支える親友のエンゲルス、そして共産主義者同盟の活動仲間たちとの様々な騒動が繰り広げられる。
National Theatre Live: Young Marx | trailer
本編上映前のインタヴューで語られるように、マルクスは中々に身勝手でだらしないひどい男。でもどこか憎めないのは、演じるロリー・キニアの魅力も大いに関係あるだろうか。肝心の原稿は書かず、家のものを勝手に売り払い、病気の子供の診察代も払えず、革命家の集会にも参加せずに飲んだくれ、使用人のニムとの間には子供をつくり、しかもそれをエンゲルスの子供ということにしてくれと押し付ける最低っぷり。もちろん、コメディとして描かれているので、最低な部分もそれはそれで笑えるのだけど、実際はかなり悲惨な状況でもあったのではないだろうか。
マルクス、というとそれだけで気難しそうな思想家の顔が思い浮かぶが、この作品では、そんなマルクスの画一的なイメージを打ち破り、若い頃の一人の人間マルクスの姿を浮かび上がらせようとしている。たしかにこれを観れば天才マルクスも弱さを持った一人の人間だということがよくわかるし、彼が単に怠惰から酒に逃げているわけではなく、影響力を持つ天才がゆえの葛藤を抱えていたこともわかる。この人物は立派な人物であると示されるより、こんなダメな人でしたと示された方が愛着も湧いてくるというもの。さらに魅力的な俳優陣が演じているので、ついつい舞台に引き込まれてしまう。
コメディだけれど、悲しみや苦しみも随所にちりばめられ、悲喜こもごもの人間模様がくだらなくも知的なユーモアに彩られて語られていく。
個人的には女優陣の活躍が心に残ったが、やはりマルクスを語る上で欠かせない存在は彼の盟友エンゲルスだろう。ディケンズの創作にも献身的な友人フォースターの存在が欠かせなかったが、気まぐれな天才の傍には彼を慕う献身的な友人が集まるものなのだろうか。時代も共通しているし、ディケンズはマルクスと違い生涯勤勉な作家であったけれど、気まぐれでカリスマ的な天才という面で二人に共通点を感じた。年齢もディケンズ1812年生まれ、マルクス1818年生まれと近い。
舞台上に表現されるのは、まさに19世紀半ばのロンドン。パンフレットの解説にあるように、まさにディケンズの小説世界のロンドンであり、衣装や小物も魅力的である。
移民である彼らが住居を構えたソーホーは今でこそお洒落なエリアだが、当時は移民の労働者などの貧困層が多く暮らしていたという。30年ほど時代は後になるが、スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』では、ハイドの隠れ家もソーホーに設定された。語り手アタソンの眼に映るソーホーは汚く、貧民や移民たちで溢れかえっている。この場所でマルクス一家が暮らしを送っていたと考えると、中々に壮絶なものがあったのだろう。